たまにはお散歩


 

第5回 天王寺から道頓堀へ (2001.11.13. & 11.24.)

巻2 「新世界から道頓堀」

 

 長くなったので,「巻1」,「巻2」と分けてみました。

 安居神社,一心寺の間の「逢坂」,現在の国道25号線を西に降りていくと通天閣が近づいてくる。もうそこは,「新世界」だ。(地図参照

 この天王寺から今宮にかけての地域には,明治の中頃に,「有宝地」や「偕楽園」といった大遊園地があったという。展望台があったり,「偕楽園」には,「自動鉄道・今宮臥龍館」と名づけられたローラーコースターがつくられ大評判になったという。今でいう,ジェット・コースターのようなものだろうか。
 しかし,この「偕楽園」は,明治36年に開催された「第5回 内国勧業博覧会」のために廃園された。

 「第5回 内国勧業博覧会」は,明治時代の一大イベントであったようだ。「内国」といいながら,神戸や横浜などに支社を持つ海外の企業などが出品し,中には独自のパビリオンもあったという。「万国博」と言ってもいい規模であったようだ。
 日本で初めて「冷蔵庫」が出品され,建物そのものを「冷蔵庫」化し,いくつかの部屋には,それぞれ魚や肉,野菜,果物などを保存・展示した。中でも,ご愛嬌は,「白雪をいただく富士山の箱庭」も展示されたという。
 いろいろなアトラクションもあった。日本初のウォーターシュート「飛艇戯」とか,「電気光線応用大舞踏」といったものが人気を集めたという。後者は,

  「電気光線応用大舞踏」と題して,幻想的な舞踏を観覧する「不思議館」が人気を集めた。光学のトリックを駆使したショー,とりわけ白い服を着て踊る金髪の外国人美女に背後から光線をあてて,裸体のシルエットを見せる場面が話題となる。当時としてはエロチックなショーであったようだ。

    橋爪紳也「大阪の遊園地」―なにわ物語研究会・編『大阪まち物語』所収(創元社)

 この博覧会の跡地に生まれたのが,「新世界」である。

 中心には,通天閣が建設された。明治45年に建設された「初代通天閣」は,台座となる建物は,パリの凱旋門を模倣したもので,その上にエッフェル塔を模した塔が立つ。高さ 64m と当時,東洋一の高さを誇った。
 この通天閣から北へは,放射線状に道路が作られた。今もその道路にそって,店が並んでいる。
 通天閣の南側には,ルナパークという遊園地がつくられたが,こちらは今はない。
 現在は,芝居小屋,映画館,飲食店などがあり,いつも賑わっている。 

 

通天閣  通天閣   新世界・朝日劇場  新世界

 

 では,久しぶりに「通天閣」に上がってみよう。
 初代の通天閣は,昭和18年に火災に合い,戦時中に,鉄材供出のため解体されてしまった。昭和31年に,再建運動の末,現在の通天閣が復活した。高さ 106m で,設計は,東京タワーと同じ,内藤多仲氏。

 近年新しくなったエレベーターで,展望室にあがる。360度の眺望は,素晴らしい。
 北のビル街,西には,遠く六甲の山並から大阪湾,南は関空,東は生駒山まで。足下には,天王寺公園から上町台地も箱庭のように見下ろすことができる。

 

上町台地  西南を望む

 通天閣より (左)北北東を望む(上町台地) (右)西南を望む(大阪市立美術館と天王寺公園)  

 

 通天閣の南の町並みに入ると。小さな事務所があった。

 

この事務所は?  クリックすると正面からの拡大写真

 

 その事務所の前を通り過ぎ,堺筋に出て北上する。まもなく,国道25号線とまた出会う。信号を渡った角にある浪速警察所を横目に,さらに北に進むと,大阪では有名な電気屋街「日本橋」となる。カメラを取り出すと道行く人々が怪訝な目を向ける。少しカメラの向きを上に向けた。

 

電気屋街  日本橋

 

 「日本橋」は「にっぽんばし」と読むのが正しい。が,たいていの人は「にほんばし」と言う。地名とはいえ,細かいことを言わない大阪人らしいといえば大阪人らしい。
 この日本橋には,私がいつも行くジャズのCD屋がある。ちょっと「お散歩」をやめ,寄り道してきます。

 日本橋3丁目の角を西に向かうと,南海電鉄の「なんば駅」に出る。その少し手前に北に入る賑やかな路地がある。「道具屋筋」だ。
 通りの両側には,いろいろな道具を売る店が軒を並べる。もし,飲食店を始めたいのなら,ここに来ればなんでも揃うだろう。のれん,看板,ガステーブル,鍋釜,包丁,まな板,食器類もガラス製品から陶器,木製品,箸にスプーン,フォークにナイフ,もちろん,椅子にテーブル,レジもあれば,注文書き,領収書に帳簿,ユニフォームを揃えたければどうぞ。前掛け,半被。飾りの小物類,メニュー書く板やら黒板,ホワイト・ボード・・・設計してくれるところもある。
 眺めているだけでも楽しい通りだ。

 アーケードが切れ,少し道幅が広くなったところに,人が集まっている。右側に「なんばグランド花月」がある。吉本興業だ。その向かいには,大阪府立上方演芸資料館「ワッハ上方」がある。

 そこをやり過ごして,再びアーケードの通りを北に進む。千日前に向かう。

 狭い道が千日前通りと交差する。この交差点の西南角に,最近,ビッグ・カメラがオープンした。その前は,「プランタン」が入っていた。
 このビルの場所は,歴史が古い。大正時代には,「楽天地」という娯楽のデパートがあり,活動写真から演芸,演劇まで楽しめたという。
 昭和初期には,「歌舞伎座」が建てられた。3千人を収容したという大劇場だったらしい。
 その後,千日前デパートが建てられたが,昭和47年の火災でたくさんの犠牲者を出した。今,歩いている若い人の多くは,その火災のことなど知らないだろう。仮に,火事は知っていてもそれが,ここであったことだとは気がつかない。

 交差点の北西角に「竹林寺」がある。ビルの谷間の多宝塔が不思議な風景を生み出す。

 

千日前・竹林寺  千日前・竹林寺

 

 竹林寺を見ながら,北側の通りを少し行くと左に狭い路地がある。低い塀が続き,正面にお堂が見え,やがて線香の香りが立ち込めてくる。
 正面に見えていたお堂のところでクランク状に道が折れ曲がる。ここが,「千日前」という地名の由来にもなっている,「天龍山法善寺」だ。有名な「水掛不動」は全身に緑色の苔をまとっている。
 千日前という地名は,先ほどの竹林寺では「五千日回向」,法善寺では「八千日回向」といって千日ごとに念仏供養を行っていたことに由来する。寺は俗に「千日寺」と呼ばれ,その千日寺の前ということから,地名になったという。

 

法善寺と水掛け不動  法善寺    水掛け不動

 

 お不動さんのかたわらに「夫婦善哉」という店がある。

  柳吉は「どや,なんぞ,う,う,うまいもん食いに行こか」と蝶子を誘った。法善寺境内の「めおとぜんざい」へ行った。道頓堀からの通路と千日前からの通路の角に当っているところに古びた阿多福人形が据えられ,その前に「めおとぜんざい」と書いた赤い大堤燈がぶら下がっているのを見ると,しみじみ夫婦で行く店らしかった。おまけに,ぜんざいを註文すると,女夫(めおと)の意味で一人に二杯ずつ持って来た。碁盤の目の敷畳に腰をかけ,スウスウと高い音を立てて啜りながら柳吉は言った。「こ,こ,ここの善哉はなんで,ニ,ニ,二杯ずつ持って来よるか知ってるか,知らんやろ。こら昔何とか太夫ちゅう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな,一杯山盛にするより,ちょっとずつ二杯にする方が沢山(ぎょうさん)はいってるように見えるやろ,そこをうまいこと考えよったのや」蝶子は「一人より女夫の方が良えいうことでっしゃろ」ぽんと襟を突き上げると肩が大きく揺れた。蝶子はめっきり肥えて,そこの座蒲団が尻にかくれるくらいであった。

    織田作之助 『夫婦善哉』

 ここより一本北の路地を「法善寺横町」という。もともとは,法善寺の境内であったが,境内に並んだ露店が,いつしか店を構えるようになった。古い店もあれば,新しい店もある。
 狭い路地の両側にいくつもの店が並んでおり,夜ともなれば,酔客のあふれる賑やかな一角となる。 

 

法善寺横町  法善寺横町  正弁丹後亭

 

 法善寺を抜け,再び北に歩くとすぐに,昼でも賑やかな「道頓堀」に出る。
 もともと,芝居小屋が並び,芝居茶屋が周囲に立つ町であった。

 道頓堀は,1612(慶長17)年に安井道頓によって掘削が始められたが,すぐに「大坂の陣」が起こり,道頓は戦死してしまう。その遺志を弟の道卜が継ぎ,1615(元和元)年に完成したもの。
 江戸時代に,道頓堀の南側に,「中の芝居」(後の「中座」),「角の芝居」(「角座」),「大西の芝居」(「浪花座」)など次々と芝居小屋ができ,さらに「竹本座」「豊竹座」などの人形浄瑠璃の小屋も誕生した。
 こうした芝居小屋も映画館や寄席として残ってきているが,その佇まいは,すっかり変わってしまった。

 現在では,多くの飲食店街が軒を並べ,大阪らしいユニークな看板で有名だ。そういった看板の前で写真を撮る観光客も少なくない。観光客に混じって,カメラを構える。少し恥ずかしく,苦笑する。

 

道頓堀  かにの看板  くいだおれ

 

 道頓堀を西に抜けると広い橋がある。通称「ひっかけ橋」と呼ばれる「戎橋」である。この橋の南詰のビルに,有名な「グリコ」の巨大な看板がある。夜ともなればネオンが点り,カラフルな光を楽しめる。これもまた,大阪のひとつの顔かもしれない。
 この橋を北に行くと「心斎橋」となる。今日はここまでにしよう。「心斎橋」は,また次の機会。

 

戎橋  戎橋

 

 戎橋を少し西に行くと御堂筋。イチョウ並木はどうだろうか? まだ,黄色くなり始めたばかりのようだ。

 

御堂筋  御堂筋

 

 お昼時をかなり過ぎてしまった。もう「お散歩」はこれくらいにして,遅いお昼にしようと思った。そう,せっかくだから,「自由軒」に行こう。
 再び,南に戻る。千日前通りを渡り,ビッグ・カメラの裏の通りに入る。そこに「自由軒」という洋食屋がある。

  ・・・出ると,この二,三日飯も咽喉へ通らなかったこととて急に空腹を感じ,楽天地横の自由軒で玉子入りのライスカレーを食べた。「自由軒(ここ)のラ,ラ,ライスカレーは御飯にあんじょうま,ま,ま,まむしてあるよって,うまい」と嘗って隆吉が言った言葉を想い出しながら,カレーのあとのコーヒーを飲んでいると,いきなり甘い気持が胸に湧いた。

    織田作之助 『夫婦善哉』

 

自由軒  自由軒

 

 店の中を覗くとそれほど広くない店内は,満席だった。待つのもシャクなので,諦めた。こんなことなら,道頓堀で何か食べておけばよかった。

 仕方なく南海なんば駅に向かう。途中,豚まんとアイスキャンディで有名な店などもあり,人通りも多い。

 

豚まんの店  551  

 

 何気なくふだん歩いている「大阪」だが,こうして散歩してみると,知らないことも多い。逆に,あそこも「お散歩」すれば良かった・・・と今回のコースに近いところも随分通り過ぎてしまった。そういうところは,また,機会を改めて出かけよう。
 ごちゃごちゃした,天王寺から難波にかけての町,いろいろな歴史と風景を持っている。私の大好きな町だ。

 


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